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カイシトモヤさんの無料タイポグラフィ講座で学んだこと

先日、デザイナーのカイシトモヤさんのタイポグラフィ講座に参加した。
なんとこの講座、「無料」なのである。“タダより高いものはない”理論でいけば、この世でもっとも贅沢な90分間を体験したといっても過言ではない。

講座を知ったきっかけであるカイシ先生のツイッターはコチラ↓

twitter.com

   

参加のきっかけ

わたしは、デザインの専門学校卒のため、学校生活のどこかでカイシ先生の名前を知ったような記憶がある。多分、Kiramune*1のオタクにこんなデザイナーさんがいてね、と聞いて知ったような気がする。
そんなある日、下記のツイートが回ってきた。

もちろん、このデザインを少しでもかじる人間なら胸がザワザワしてしまうようなポスターは意図的に作られたもので、ツイート内にもあるように「『やばい!わたしがいかなきゃっ!!』って不安感を覚えた人はぜひ応募ください」と、新卒応募を促すためのものである。

登壇者のカイシ先生は、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)の会員で、国内のデザインに関する賞を多数受賞している優れたアートディレクターである一方、愛読書が「ちゃお」、マカロンを忌み嫌っているなど、どこか親しみやすいキャラクターで、学生時代からずっとツイッターをフォローしている。
ちなみに「カイシ先生」と呼んでいるように、現在は東京造形大学の准教授もされており、カイシ先生のツイッターではゼミ生への愛あふれるツイートがいつも流れてくる。わたしは造形大学卒ではないが、その優しく説くような文章から先生と敬称をつけるようになっていた。

そんなすでに福利厚生大充実のカイシ先生のツイッターでよく見かけていた、「タイポグラフィ無料講座」の文字。いつも行きたいと思っていたのに、なかなかタイミングが合わず、気づけば専門学校も卒業し、社会人も3年目となっていた。
しかし、3週間ほど前にまたこの無料講座開催のお知らせを見かけ、「時間的にも行ける! ちょっと怖いけど行こう!」と勢いで申し込んだ。
なぜ怖かったかと言うと、「学生・新人向け」と謳われているとは言え、こういう場には意識の高いすでに新人なんてもんじゃねえみたいなレベルの人たちが多くいると思い、普段はどちらかというと雑誌やコンテンツの編集を主にしつつサブでデザインもしているようなわたしが行っていいものか? と思っていたからだ。

 

結果的には、正直もう記憶が無くなるほど良かった。
好きなアーティストのライブに行った後のように、すでに記憶が薄い。必死にメモをとっておいてよかった。

講座についての感想

まず、早速講座の後半で出た話になってしまうが、この講座はぜひ「デザイナーに発注する側の人(クライアント)」にも参加してみてほしい。なんと言っても無料だし、知識はいくらあっても困らない。

この講座は、12月上旬より開催される全10回でタイポグラフィについて著名なデザイナー陣が徹底的に教えてくれる「タイポグラフィ実践講座」のいわばお試し版のようなもの。

www.sendenkaigi.com

↑講座のなかで「実際にデザインを作ってもらって、僕(カイシさん)が直接赤字を入れます」とおっしゃっていました。なんて贅沢な……。

しかし、カイシ先生は、「本来の講座のさわりだけやっても物足りないと思うので、『すぐには役立たなくても、これからデザイナーをしていく上で必ず役に立つ知識』として(本編とは)全く別の内容をやります」とおっしゃっていた。しかも、全20ページの特製資料つきだった。本当に無料なのだろうか?

講義の内容について

今回学んだのは「そもそもタイポグラフィとは?」ということ。思えば、「文字のデザイン」や「レタリング」などの授業を「タイポグラフィ」と呼んでいたので、タイポグラフィについて深く考えたことがなかった。
「字体と書体の違い」や「タイポグラフィにはミクロとマクロの視点が必要であり、それが本質である」こと、「視覚伝達」、「点や線を“面”として見る」こと、「ゲシュタルトを作る」こと、そして「デザイナーにとっての“抽象”とは」など、90分のなかでギッシリと様々なことを学んだ。無料とはいえ全部全部細かく載せるわけにはいかないので、ぜひカイシ先生のツイッターをフォローして、次回開催を心待ちにしてほしい。

そのなかでいくつか特に刺さる言葉があった。刺さりすぎてちょっと耳も痛かった。

「鴨川等間隔」の禁忌を犯していた

まず、一つは手法におけることで「ゲシュタルト」に関すること。ゲシュタルトとは、「全体を、部分の寄せ集めとしてでなく、ひとまとまりとしてとらえた、対象の姿や形態」のことを指す。よく耳にする「ゲシュタルト崩壊」とは、その「部分」に注目しすぎて、一つのまとまりとして見られなくなる状態のことだ。
たとえば、いま読んでいただいているブログの文章も、センテンスごとに改行を施し、適度に見やすくなるようにしている。その「1ブロック」を上手に組む=ゲシュタルトを作り出すことが我々デザイナーの仕事だ。

ゲシュタルトの見せ方として、3つのパターンがあり、そのうちの一つに「閉合の要因」というのがあった。ゲシュタルトとして見せるために、四角で囲んでしまうという方法だ。ただ、四角で囲めばゲシュタルトだと分かりやすいが、ある意味麻薬的な力があり、囲み過ぎると綺麗に見えない、のようなものだった。
わたしはゴチャッとしたアメコミのようなデザインが好きで、いちいち文章を四角で囲むのを無意識でやっていた。そのため、非常に非常に耳が痛かった。その日は猛省し、今日からはなるべくそれ以外の手段でゲシュタルトを見せるように意識している。
ちなみに、その要因を京都の「鴨川等間隔」で例えており、閉合の要因は「カップルがみなブルーシートに座ってればどこがペアだか一目瞭然だが、景観の美しさは損なう」ということだった。京都の景観を脅かしてすみませんでした。

デザイナーは「特別」ではない

そしてもう一つが、デザイナーとしての心得なようなもの。
デザイナーは普遍的であるべき」との言葉があった。そして、以前カイシ先生のツイートで「心のどこかでデザインという仕事は特別で認められた仕事という意識がありませんか?」という内容のものがあった。

 この質問箱への回答とはちょっと趣旨が異なるのだが、クリエイティブ職だということにどこか優越感を抱いていたわたしには非常に刺さる言葉だった。

もちろん、特別な感性を生かしてそれを落とし込んだ前衛的なデザインは、その人にしか生み出せない素晴らしいセンスだ。しかし、言ってしまえばデザイナーとはいえわたしは普通のOLだ。普通だからこそ、「誰が見ても分かる」を生み出すのがわたしの主たる仕事になる。そういった、基本中の基本の部分だが、言われないと気づけないような部分を学べたのが非常に良かった。

最後に

今回、幸いタイミング良く参加できたが、このタイポグラフィ無料講座は時間を作ってでも行くべき内容だと思う。いままで足踏みしていたことを悔やんだが、ちょうどデザイン業務が増えてきた段階だったので、良いタイミングだったのかもしれない。
そして、上述の通り「デザインを発注する側」の人も参加してもいいかもしれない。デザイナーがクライアントの詳細な業務を知らないように、クライアントだってデザインのことはあまりわからないはずだ。少しでもデザインの知識があると、きっともっと良いものができるし、デザイナーと良い関係も作っていける。無茶な指示を出して嫌な顔をされなくて済む。両方の立場で動くわたしには、本当に本当に良い講座だった。

さらっと書くつもりが結局長文になってしまった。そのくらい、それはもう本当に良い講座だった。
これからは積極的にデザイナーの言葉に触れられる場所に参加していきたいと感じた。

 

*1:男性声優アーティストのレーベル

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