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軽井沢へプチ・トリップ!
敬愛する遠藤周作さんの生誕100年記念展示を訪ねました

軽井沢へプチ・トリップ!<br>敬愛する遠藤周作さんの生誕100年記念展示を訪ねました

会社で遊べ!」の企画により、軽井沢に行ってきました!

目的は、軽井沢銀座の食べ歩きでも、アウトレットでショッピングでもなく、遠藤周作の展覧会! 私の「推し」ということになるのでしょうか……中学生のときにはじめて作品を手にしてからもう30年余り。ずっと励まされ、考えさせられ、元気をもらっている作家さんです。

名前を聞いてピンとこない人もいると思うので簡単にプロフィールを紹介すると、戦後の日本を代表する作家であり、代表作としてよく知られているものには「海と毒薬」や「沈黙」、晩年の集大成的な作品「深い河」など。

映画では、2017年にマーティン・スコセッシ監督による『沈黙 -サイレンス-』が公開されたことが記憶に新しいかもしれません。さかのぼれば、1971年に篠田正浩監督による『沈黙 SILENCE』、1986年には渡辺謙と奥田瑛二の共演で『海と毒薬』など数多く作られています。

そんな遠藤周作(以後、周作さん)の作品に、中学生の時に出会って以来、ずっと追いかけ続けてきました。1996年に逝去してから、はや27年が経ちましたが、作品の魅力はもちろん、周作さんへの私の思いは色褪せることがありません! 今年は生誕100年という節目を迎えて様々な展覧会やイベントが行われており、そのひとつが、周作さんの別荘があった軽井沢の「軽井沢高原文庫」で開催された、「生誕100年記念 遠藤周作展―『沈黙』から『深い河』まで―」です。

予定がなかなか合わず、軽井沢行きは、展覧会の最終日前日。なんでもギリギリの私ですが、今回も駆け込みですべり込むことができました。

軽井沢へは上野から新幹線で約1時間。こんなにも近いのか、とびっくりです。曇天ではありましたが、避暑地として知られるだけに、空気はひんやり感じられました。高い建物もなく、視界の大部分を占める緑の空間に心が安らぎます。都会とは別世界です。

目的地である軽井沢高原文庫は、駅から少し離れた、高原の中。浅間山をのぞむ塩沢湖を中心に、歴史的な建物や美術館などが集まった総合的リゾート施設、軽井沢タリアセンの敷地内にありました。

タリアセンを入ってすぐ、エレガンスな歩道です
タリアセンの中心となる美しい塩沢湖。曇天だったのが残念

軽井沢高原文庫の建物は、湖畔から少し離れたところにかまえられています。

浅間山の溶岩石を基壇に、鉄骨のシェルターユニットが載せてあります

この文学館、こじんまりしていますが、実はすごいのです!

芥川龍之介や室生犀星、川端康成、堀辰雄ら軽井沢ゆかりの作家や詩人の原稿や書簡をなんと2万点も収蔵していて、年に何回か企画展を開催しています。自然を楽しみながら芸術にも触れられるという、とっても優雅な空間。

入口前には、室生犀星の文字とサインが刻まれた石碑が!

これまでにも、周作さんの展覧会が開催されれば、行ける限り足を運んできました。

よって展示内容も目にしているものは多いものの、その度に新たな驚きもあるし、自分の理解も広がります。展示の企画や内容が違うということはありますが、訪れた時の私の年齢や経験、状況にもよると思うのでそこも楽しみです。

今回も周作さんの軌跡をたどりながら、その人となり、作家となりを示す展示物がならんでいました。数々の写真や、貴重な原稿、親交のあった作家と交わした書簡…。

メールやSNSなどのツールが発達している現代に、びっしりと文字で埋め尽くされた原稿

用紙や、親交を温めた手紙を見られるのは、若い人には新鮮かもしれません。特に手紙やハガキなどは、1枚ずつ丁寧にケース展示されているものもあって、作家同士の私的な交流を見られるのも楽しいです。北杜夫とのもはやユーモア合戦みたいなやりとりは、見ていて思わず吹き出してしまいます。

周作さんについての寄稿などが掲載されている冊子も、もちろん買いました!
展示にもあった、周作さんのプライベートの写真も掲載

周作さんについてもう少し詳しく説明すると、両親が離婚後、母親の希望により12歳でカトリックの洗礼を受けました。慶應義塾大学仏文科を卒業後、戦後最初の留学生としてフランスにわたり、帰国後は批評の仕事を経て作家の道に。1955年に「白い人」で芥川賞を受賞。以降は「海と毒薬」や「沈黙」がよく知られるタイトルだと思いますが、カトリック作家として知られました。

周作さんが生み出した作品たち

こうした経歴だけをたどれば、ちょっとお堅いイメージが浮かぶかもしれませんが…周作さんの魅力はこれだけではもちろんありません!

まず作品でいえば、純文学のみならず、歴史小説、大衆娯楽小説、ミステリーにサスペンス、青春小説と、ジャンルが本当に幅広い。さらに、孤狸庵というもうひとつの名前で、“ぐうたら”シリーズで知られる数多くのエッセイを生み出していて、これらも傑作・快作!

日常のあれやこれやを、辛らつさと絶妙なユーモアをまじえながらつづっている内容に私も夢中になりました。この名前の由来は、「こりゃ、あかんわ」=「孤狸庵閑話」からはじまったもの。自分の家を「孤狸庵」とも呼びました。

私が最初に手にとったタイトルはなんだったのか…おそらく手に取りやすい孤狸庵ものから入って、広げていったように思います。その頃は中学生でお金もなかったので、買うのはもっぱら古本。あれこれの古本屋が並ぶ大好きな神保町に通って、遠藤周作や、孤狸庵の名がつく文庫を見つけては買い集めていきました。

表紙にはかわいいらしい周作さんのイラストが。ユーモア満載の狐狸庵シリーズ

読みたかった本を買うというのではなく、古本屋にあったものを買うというスタイルだったので、ジャンルも発行年もバラバラ。けれども、ジャンルの幅広さがあったからこそ、飽きることもなかったし、周作さんの世界が自分のなかでも拡張していくような感じが面白かったのかなと思います。

周作さんの文学的な魅力を簡単に語ることはできませんが、ひとつだけ絶対的な視点としていえるのは、弱い者への優しい視点です。

江戸時代のキリシタン弾圧期が舞台の「沈黙」。隠れキリシタンのキチジローは、拷問による肉体的な苦痛に耐えかねて踏み絵(キリストやマリアの像が描かれた絵・木板・銅板。これを踏むことで信者でないことが証明されました)を踏みました。司祭ロドリゴは、キチジローの裏切りにより、幕府に捕まって背教を迫られますが、信徒たちの苦しみを目の当たりにして苦悩するなか、踏絵に描かれたキリストから「踏めばいい」という声を聞くのです。

神は“沈黙”しているのではなく、語っていることを伝える作品なんです

神学ではなく、文学です。私はカトリック教徒ではありませんが、踏絵を踏まない強さを称えるのではなく、踏絵を踏んでしまう人間的な弱さを肯定した、そのまなざしに強く惹かれました。

「踏まれる顔よりも、踏む足も痛い」ということ……。弱い者の立場に立とうとするまなざしは、周作さんすべての作品に通底するもの。「沈黙」だけでなく、他の作品を知るにつれて、その思いを深めていったのだと思います。

この「踏めばいい」の箇所はカトリック教会から問題視されるなど、多くの議論を巻き起こしましたし、今でも多くの解説や考察があります。

12歳で洗礼を受けた周作さんですが、キリスト教のことを「身の丈に合わない洋服を着せられた」と語っており、その洋服を自分なりに仕立て直すこと=日本人にとってのキリスト教として考え、書き続けました。

合わないなら脱げばいいじゃない、と思う人もいるかもしれません。けれども周作さんにとっては大好きな母親との約束でもありました。だから棄教することは選ばず、自分に課せられた運命を自分なりに問い続け、発信し続けて、その姿勢を貫いたのです。

だいぶ真面目な説明になってしまいましたが、周作さんの魅力は、語りつきることがありません!

写真家・稲井勲さんの写真集には、周作さんのチャーミングな素顔が満載です

執筆を離れると、遊びの達人。「演(や)る人天国、観る人地獄」と言われた素人劇団「樹座」を立ち上げたほか、同じく素人たちによる父親コーラスクラブ「コール・パパス」、囲碁の「宇宙碁院」などをつくるなど、大いに楽しんだことも知られています。また晩年には、自身の闘病体験をもとに、「心あたたかな医療を求めて」としたキャンペーンで医療問題への提言も行いました。はみ出し者や弱い者への優しさはここにも見られます。

周作さんの多彩な活動を紹介する展示を見ながら、新聞の連載で「樹座」についての募集の告知を見たことを思い出しました。「私も入りたい!!」

結局、受験時期だったため断念しましたが、募集窓口に「周作さんが大好きで、『樹座』に入りたいけれど、受験で応募することができなくてとても残念です」という、なんとも一方的すぎる手紙を送ったこともありました…。この手紙が周作さんの手元に届いたかどうかは不明ですが、窓口の方はきっと呆れたことでしょう。

そして、これはちょっとした自慢でもありますが、周作さんが亡くなる数年前に、稲井勲さんによる周作さんの写真展とサイン会で会う機会にも恵まれています!

文庫「留学」にいただいたサイン。「教正 遠藤周作」とあります

写真展でサインをいただく際に「君は学生さん?」といったような言葉をかけてもらったのを覚えています。背が高くて、温かな笑顔で…本当に素敵でした! その時、会場に来ていた同い年ぐらいの女性と気が合って、帰りにお茶をしたことを覚えています。大作家のサイン会に、女子学生2人…。今となってはいい思い出です。

実は軽井沢高原文庫に来たのは、今回で2度目です。1度目は、2006年に開催された「没後10年記念 復活した遠藤周作と狐狸庵展」の時。そのときは周作さんのご子息・遠藤龍之介氏と、 周作さんと親交のあった作家の加藤宗哉さん高橋千劔破さんのトークイベントにも参加。高原文庫の庭に話し手の3人と、観客用の椅子が並べられているだけのシンプルな形式でしたが、近距離で話を聞けて感激したことを覚えています。

こちらは前回訪れた際の展覧会のチラシ。懐かしい…

ちなみに龍之介氏の名前の由来は、もちろんあの方。芥川賞受賞の年に生まれたことからつけられたそうです。現在はフジテレビの重役として活躍されていますが、周作さんがらみのイベントにはよく登場していて、「うちの親父は変だった」と、神経質だった一方、いたずら好きでもあった周作さんの素顔についての貴重なエピソードを聞かせてくれています。

今回の開催では阿川佐和子(周作さんと同じく”第三の新人”と呼ばれた阿川広之の娘で、本人も親交あり)や、塚本晋也(『沈黙 -サイレンス-』に出演)のトークイベントが行われましたが、私は日程があわず残念。

周作さんの別荘を構えていた軽井沢で開催、というのも重要です。慶應予科時代、哲学者の吉満義彦を介して知り合った堀辰雄(映画化もされた「風立ちぬ」が有名)を度々訪ねては、西洋と日本の神について、作家としての姿勢を学んでいたそうです。また、「沈黙」の初校(最初のタイトルは「日向の匂い」でした)を脱稿したのが軽井沢、というのだから心が震えます…!

高原文庫の庭には、周作さんと縁のあった堀辰雄の山荘(移築)も

軽井沢に別荘を構える親しい作家たちとも楽しい時間を過ごしたようで「軽井沢は人生で、東京は生活」とも語っていました。創作の孤独や苦労を癒す時間も、軽井沢にあったのかなと思うと感慨深いものがあります。

周作さんが人生を楽しんだ軽井沢へのプチ・トリップ。今回の展覧会を機に、改めて周作さんの世界に触れることができました。そして、周作さんと出会った当時の自分自身を思い返して、初心に戻れた気持ちになりました。

まだ読んでない本も、読み直したい本も、理解できてない本もたくさんある! もっともっと理解を深めていきたい…と思いました。これは一生かけての私のテーマです。

後日、町田文学館で行われた展覧会を訪れましたが、そちらも、現代作家を通して、遠藤周作文学に新たな視点を見出すというコンセプトにしていて、興味深かったです。冊子は作っていないとのことだったので、ちょっと残念…。次の周年の際にはぜひお声がけいただきたいものです。また今後、作品が映画化された際にはぜひパンフレット制作のご用命をお願いします。 

次は、「沈黙」の舞台でもある長崎県の遠藤周作文学館へ行く予定です。周作さんに出会う旅を今後も続けていきたいと思います!

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