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『はじまりの街』(16)

『はじまりの街』(16)

例年、GWに有楽町で開催される「イタリア映画祭」をひそかに待ちわびている。小粒だけど味わいが深く、現代社会への風刺がぴりっと効いている。そして、戦後に“ネオリアリズモ”というムーヴメントを生んだイタリア映画は、現代においても人情の機微を描くのがうまい、と思う。映画祭の多彩なラインナップを通して、毎回、どんな人間ドラマに出会えるのかが楽しい。

『はじまりの街』(16)は、2017年の「イタリア映画祭」で上映され、岩波ホールで公開されたが観逃していた。主演は、イタリアを代表する名優マルゲリータ・ブイと、ハリウッドの活躍でも知られる実力派ヴァレリア・ゴリノ。北イタリアのトリノを舞台に、人生の新たなスタートをきろうとする母と息子と、彼女たちを支える人々の交流がつづられる。

住み慣れたローマから、見知らぬ土地トリノへ。DV夫から逃れるため、アンナは13歳のひとり息子を連れて、学生時代からの女友達カルラの家に引っ越してくる。何もかもイチからの再スタート。なんとか生活を立て直そうとするが、そうたやすくはいかないわけで…。

苦境に立たされた母子が新たな人生を歩もうとする懸命な姿を、応援したくならない人はいないだろう。劇中でも、2人を快く受け入れるカルラの存在は大きいし、訳ありのカフェの主人マチューは、無骨ながら2人を見守ろうとする。

けれども人生はなおも過酷で厳しい。主婦だったアンナは仕事探しに苦戦して無力さを痛感し、息子と共に過ごす時間を削ってでも夜勤のある職につくしかない。一方、思春期真只中のヴァレリオは、新しい環境になじめず、大好きなサッカーを楽しむ仲間もいない。孤独にさいなまれ、あてどなく街中で自転車を乗り回すしかない。

カルラやマチューをはじめ、さまざまな事情を抱える人々のほろ苦い日常に真実味はあるが、ドラマの一番の吸引力は、ヴァレリオだ。父親が母親を殴るところを見てショックで失禁したこともある彼は、母親を気遣う一方、父親への思慕も捨てられず、なんでどうして…と苛立ちを隠せない。なんたって13歳。気持ちをコントロールできないのは当たり前だ。大人の事情に振り回され、自分自身の居場所を探してもがき続ける姿がひたすら切ない。

公園で出会ったセクシーな年上の女性にビビッときたヴァレリオが、大胆にも彼女に近づいてデート(だとヴァレリオは思う)にこぎつけるなどの甘酸っぱいエピソードも。このお姉さん、公園で客引きをするいわば娼婦なのだが、はっきりと理解できていないヴァレリオは、車の中で彼女がおじさんを相手に“仕事”している姿を目撃して、「あのじじぃを殺すべきだった!」と憤るなど、なんだかもう抱きしめたくなってしまう無垢さ。なんたって13歳…。しかも演じるアンドレア・ピットリーノの美少年ぶりといったら特筆もので、こんな息子がいたら…と妄想してしまうが、繊細な演技も印象的でこれからのキャリアが楽しみでしかたない。

舞台となるトリノの美しい風景もいい。黄金色に輝く落ち葉の絨毯、水面がきらめく川の豊かさ。アーチ型の橋には情緒があふれている。母子にとっての“はじまりの街”となるこの地は、実はイタリアで初めて映画が上映された、イタリア映画にとっての“はじまりの街”でもある。思い出すのは、その歴史を伝えるトリノ公立映画博物館が登場する『トリノ、24時からの恋人たち』(04)で、『はじまりの街』と雰囲気は異なるものの、同じようにぬくもりが感じられる作品。多彩な表情を見せるトリノの街の魅力が、人情とうまく調和するのかもしれない。

男性の暴力や、女性の自立、無慈悲な社会制度など、テーマが盛り込まれた物語は、現代社会への鋭い視点も忘れない。厳しい現実の中で、アンナとヴァレリオが歩みだしたのはささやかな一歩だ。そんな彼らにエールを送るように、シャーリー・バッシ―のエモーショナルなラストソング「This Is My Life」が歌う。作品に込められた、人生はやり直すことができるという力強いメッセージ。そのあたたかなまなざしが、心地よい余韻をくれる。

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