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オウンドメディアの「ライターがいない」というけれど

WEB業界の人と話していると、頻繁に「ライターがいない」という話を聞く。どういうことなのかと思っていたのだが、先日、「ライターと良質な関係をつくるためのセミナー」というセミナーに参加して、少しだけ理由がわかったような気がする。

 

 

雑誌や書籍の世界のライターは、必ず編集者と一緒に仕事をする。媒体の全体像や作りたい誌面の内容、そこに欲しい原稿のイメージは編集者にある。だから当然、そのイメージにあった原稿を執筆してもらえそうなライターを探していく。ラーメン特集ならせめてグルメ取材の経験者を、美容記事ならファッションライターをという感じだ。

 

そうやって編集者が思うようなライターを起用できたとしても、原稿が一発で仕上がることはおそらくない。なぜなら頭の中でイメージしていたものが、具体的に原稿という形になった時に、「もっと良いものに」という前向きな欲が出てくるからだ。そこからまた編集者とライターのやりとりが始まる。そうやって作品の質を高めていく。そういうことがかつては、そして今もどこかでは行われている。

 

そしてこういうやりとりがお互いにできていれば、編集者が「ライターがいない」などということはない。伴走できるライターは、少なくとも悪いライターではない。もちろん、そこに手間はかかる。しかしその手間は編集者自身の成長にもつながるものだ。

 

だから「ライターが仕事見本として世間に発表された原稿を持ってくる。だけど、それにどれだけ編集者の手が入っているかわからない。だからライターの実力の判断ができない」という話は、作品を作っていくということにおいては、あまり適当な指摘ではないと思う。

 

つまり「ライターがいない」とか、「作品が実力とは限らない」という認識で媒体を作ろうとしているところに課題があるように思う。前述のセミナーに登壇した講師の一人も話していたが、問題はライターではなく、発注する側にあるのではないだろうか。

 

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